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それは原因を把握する能力が高いからだと私は思いっています。
すぐに答えに行き着くからそれを解決する方法もなんとなくは把握できるからこそ、できない自分に腹が立ったり、無力感を感じたりして罪悪感へと変化していくんだと思います。
いくら解決の方法が分かったからと言って、自分だけではどうにもならないことも多々あります。
解決に取り組んだことも幾度もありますし、挫折したり、怖くて手が出せなかったり色々ですが、解決には労力が掛かるのです。
それを全て自分の責任として背負ってしまうから余計に罪悪感を強めるのではないかと感じたりもします。
HSPは基本的に平和主義な部分があり、どうにかして場の雰囲気を平和に保とうとしてしまう癖があります。
しかし、世の中の大半は平和的なことを望んでおらず、劣等感や優越感、人よりも上に立ちたいという欲や自分の中の不安感を埋めるために人を否定したりさまざまな感情が入り乱れています。
そんな中で無理に平和を保とうとしてしまうHSPは空回ったり、自分の気力だけを消耗してしまったりするわけです。
HSPはそんな世の中なんだと、それはそれでいいんだと思える心のゆとりや、争い合っても負の感情を抱いていてもそれはそれで人間なんだからいいんだと思うことも重要なのだろうと思います。
この本との出会いは偶然でした。
でもいつも「罪悪感」が根底にあるなぁと意識はしていたのでたまたまネット検索していて引っ掛かったのでしょうね。
罪悪感のない人なんてサイコパスくらいなもので、人間誰しもが罪悪感を持って生まれてきます。
ただ、生きていく過程において助けられなかった人がいたり、問題解決に取り組まなかったノータッチだったという経験が私の場合は罪悪感を大きくしてしまった理由の一つなのかもしれないと思います。
罪悪感を強く抱く理由についての16の兆候というのが大変に興味深く、詳しくは本の中に書いてありますので読んでみてください。
そうじゃなくてもHSPの特性がありますから、罪悪感をだいぶ拗らせていることは自分自身よく自覚しています。
それではどうこの罪悪感を解いていくのか。これが必要です。
本の中にこんな見出しがあります。
なんでもかんでも自分のせいじゃないか?と感じていしまうのはそこに罪悪感があるからなのですが、罪は罪としてあったとして仮にそれが自分の責任だったとしても「自分のせいだ」と、そこまでに留めて、「自分が悪いのだから、この責任を取って自分がなんとかしなければならない」とまでは考えなくても良いと説いています。
問題自体を抱え込まなくてもいいということで、自分が原因だと思うことは自分軸であり、そう考えることは良いことであるのに対して、問題を抱え込んでしまうことは単に罪悪感がそうさせているので罪悪感を手放すことで罪を客観的にながめて、自分自身を責めることはしなくていいのです。
本にこういう見出しがあります。
確かに罪悪感が強いときには”ごめんなさい”や”済まない”という感情はあっても、そこに”ありがとう”という感情は皆無です。
罪悪感にがんじがらめにされている時はこれを実践しようと思います。
他にもたくさんの解決方法が本には載っているので罪悪感を強く感じている方にはぜひ購読して欲しいです。
罪悪感を解き放つワークなんかもふんだんに載っているので実践してみようと思っています。
「罪を憎んで人を憎まず」って言いますが、自分にこそそうしてあげられたら文字通りすーっと罪悪感が消えてなくなるんでしょうね。ただ大事なのは共存するということなんですね。
罪悪感は共にあります。常にです。HSPの特性を持った人ならなおさら多くの罪悪感を抱え込むことでしょう。
自分の嫌な部分が認められない時と同じですが、罪悪感の場合はさらに認めないと余計に自分を苦しめてきます。
自分自身の感情なんだと認めてあげられたら一つ解決への道を進んだことになるのではないでしょうか。